少しはにかんだ笑顔と相手を撹乱する高速ドリブルで観るものを魅了する横浜F・マリノスのエース「仲川輝人」。実は、その笑顔と華麗なプレーの裏側には、人知れない苦労や挫折があったことを忘れてはいけません。ここでは、ハマのGTRと呼ばれる「テル」こと仲川輝人のこれまでの軌跡を探っていきます。どうぞ、最後までお付き合いください。
目次
【2013年】関東大学1部リーグ得点王獲得
仲川輝人は神奈川県川崎市出身のJリーガー。
161cmと小柄でありながら切れ味鋭いドリブルが武器で、今では横浜F・マリノスのエースとしてチームに無くてはならない選手の一人だ。
川崎フロンターレU15→川崎フロンターレU-18と順調に階段を駆け上がり、いよいよトップチーム昇格と思われたが、残念ながら力及ばず願いを叶えることができなかった。
本来なら落ち込むべき出来事にもかかわらず、プロになれないのは自分に足りないもがあると自覚し、大学に進学して自分自身を成長させようと試みる。
そして2011年、仲川は当時関東大学リーグ2部から1部に昇格したばかりの専修大学に入学する。
この時フロンターレのトップチームに入団できない悔しさがバネとなり、その後のマリノスで大活躍できたと言っても過言ではないだろう。ある意味フロンターレに感謝。
2013年には、大学サッカー連盟に加盟する大学選手により編成される「ユニバーシアード日本代表」に選出され、堂々3位の成績を収める。
この時のメンバーには、現在マリノスから蔚山でプレーする天野純(順天堂大学)や、川崎フロンターレの谷口彰悟(筑波大学)・車屋伸太郎(筑波大学)、かつてマリノスでプレーしその後甲府に移籍した泉澤仁(阪南大学)他、小川大貴・長澤和輝・皆川祐介など、現在Jリーグや海外で活躍する錚々たるメンバーが選ばれていた。
さらに、専修大学時代の4年間において「関東大学1部リーグ」4連覇達成。
中でも、仲川が大学3年生の2013年シーズンでは、彼自身15得点をあげて見事得点王獲得。専修大学サッカー部黄金期を支える一人として大活躍の働きを示した。
しかし、マリノス入団直前の2014年10月19日の試合中の負傷により、靭帯断裂及び半月板損傷により全治8ヶ月の大怪我を負い、長期間プレイできない状態に陥ってしまった。
【2015年】専修大学から横浜Fマリノス入団
2015年、治り切らない足を引きずりながら、仲川はマリノス新体制発表会に臨む。あの時の痛々しい姿は今でも目に焼き付いて忘れられない。
あの時の様子はYouTubeで見ていたけど、テルは立ち続けることがままならず、椅子に座りながら新体制発表会に参加していた気がする
長いリハビリ期間を過ごした仲川は、Jリーグ2ndステージ第10節「アルビレックス新潟戦」でプロ初出場を果たす。
ただし、2015年シーズンではリーグ戦2試合出場するがいずれも途中出場。トータルプレー時間96分と少なく、ゴールを奪うことは出来なかった。
一方、YBCルヴァンカップは5試合に出場。トータルプレー時間344分。
中でも、1次リーグ第6節アルビレックス新潟戦に先発フル出場し、貴重なプロ初ゴールをマークした。
ちなみに、2015年のマリノス監督にはフランス人のエリク・モンバエルツが就任。
新入団選手は仲川のほか、2014年インターハイ優勝メンバーの中島賢星(東福岡高校)、横浜F・マリノスユースから昇格の田口潤人(横浜市立南高校)の全員で3名。
そのほか、天野貴史(千葉)、熊谷アンドリュー(湘南)、比嘉祐介(京都)が、それぞれ期限付き移籍からマリノスに復帰している。
【2016年9月】J2FC町田ゼルビアへ育成型期限付き移籍
2016年9月6日のシーズン途中、J2「FC町田ゼルビア」への期限付き移籍が発表される。仲川にとっては武者修行の始まりだ。
マリノス在籍時は「怪我が治っても本来のキレが取り戻せない。ろくに戦術練習にも参加できないため、試合にもあまり出場できず苦しい期間を過ごした」と。
心機一転、町田の一員になると、移籍後初の試合ではスタメンに名を連ねてフル出場を果たし、続く2戦目では町田移籍後初ゴールをマークした。
2016年町田移籍後は、シーズン半ばの移籍にもかかわらずリーグ戦12試合に先発出場。トータル3ゴールを獲得。トータルプレー時間も1059時間と大幅に飛躍した。
ところで、仲川は度々ツイッターを使って呟いている。
しかし、2016年4月16日を最後に、再び呟き始める2018年10月18日までの期間一斉投稿が見られない。
思うに、一部を除いてこの期間中は、マリノスを離れた仲川にとって武者所業期間に該当する。
それ故、ツイッターには見向きもせず練習や試合に専念するなど、余程心に期すものがあったのだろうと推察できる。
あくまでも私個人的な推察です。
もし、その期間のテルのツイートを見掛けられた方がいらっしゃれば、お知らせいただければ幸いです。
なお、2016年、町田のJ2リーグでの成績は18勝11分け13敗、勝ち点65で7位。
当時のチームメイトには、現在のマリノス不動のディフェンダー「畠中慎之輔」が在籍していた。
【2017年1月】横浜Fマリノス復帰
2017年1月にマリノスに復帰するもリーグ戦の出場は無し。
一方、ルヴァンカップでは4試合出場して3ゴールマークした。
やはり、その当時の仲川にとってJ1の壁は厚かったのか…。
この頃三ツ沢球技場で仲川を観たことがあるけど、スピードも積極性もあり、個人的には決して悪いとは思えなかった。
なぜリーグ戦で使われないのか不思議に思ったことを記憶しています。
監督は2015年から引き続き「エリク・モンバエルツ」がつとめている。
なお、2016年のマリノスの成績は、1stステージは勝点22で11位。2ndステージは勝点29で7位。
年間では勝点51で10位と平凡な記録に終わった。
ルヴァンカップはベスト8、天皇杯はベスト4。
余談ですが…
テルがマリノス復帰後の2017年2月18日(土)、町田の本拠地でマリノスとゼルビアがトレーニングマッチを行いました。
この試合は私たちも観戦しに出かけたのですが、寒い日にもかかわらず多くのお客様が駆けつけたのを覚えています。
【2017年7月】アビスパ福岡へ期限付き移籍
2017年7月24日、今度はJ2「アビスパ福岡」に仲川は再レンタル移籍される。
福岡ではリーグ戦20試合出場したものの、残念ながらゴールを奪うことはできなかった。
ただし、20試合中15試合先発メンバーに名を連ねるなど、チームの中心選手として勝利に貢献した。
2017年度、福岡は21勝11分10敗、勝点74を獲得して4位で終了。
その後、J1昇格プレーオフ準決勝で5位の東京ヴェルディと対戦。1-0で勝利し決勝戦へ。
決勝戦では、準決勝で千葉を破った名古屋と対戦。この試合で町田は0-0で名古屋に引き分けたため、リーグ戦上位の名古屋がJ1昇格を果たし福岡は昇格を逃した。
仲川はこの決勝戦に先発出場している。緊張感あるこの試合での経験は、その後の仲川の成長に大きく寄与したことは言うまでものない。
この試合には現在マリノスの實藤友紀や、かつてマリノスで活躍した山瀬功治、三門雄大、坂田大輔などが福岡のメンバーとして名を連ねた。監督は元マリノスキャプテン、井原正巳。
【2018年】満を持して横浜Fマリノスに再復帰
2018年、仲川は満を持してマリノスに返り咲く。
リーグ戦24試合出場し、内先発出場19試合。9ゴール2アシストを記録。ルヴァンカップでは10試合出場し、内8試合先発。4ゴールマーク。
これまでのマリノスでの不振が嘘であるかのような好調振りを示した。中でも、15節長崎戦においては自身初の1試合2ゴールをマーク。
続く28節の仙台戦におけるハーフウェイからドリブルで相手を抜き去るゴールは、9月度月間ベストゴールに選出された。
素早いドリブルで相手の股をスルッと抜いて奪ったあのゴールは見事でした!
個人的には、11月9日三ツ沢球技場での対札幌戦における、ハーフウェイラインからのマラドーナばりのゴールも忘れられません。
2015年から3年間つとめたモンバエルツに替わり、この年から元オーストラリア代表監督アンジェ・ポステコグルーが監督に就任。
超攻撃サッカーを掲げて試合に臨むも攻撃と守備が噛み合わず、ポステコグルー監督初年度は思うような結果が残せなかった。結局、12勝5分け17敗と大きく負け越し12位にとどまる。
さらに、シーズン終了近くには降格争いにも巻き込まれ、最終的に勝点41が5チームも並ぶ展開に。マリノスは辛くも得失点差で降格を免れる。
それでも、観るものを魅了するスペクタクルなサッカースタイルと、「BOSS」ことポステコグルーのブレない姿勢がその後もサポーターの心を掴み続ける。
【2019年】悲願のリーグ優勝とMVP獲得!
仲川にとって2019年は何物にも代え難い特別な年となる。
リーグ戦出場33試合中全ての試合で先発出場。チームメイトのマルコスと共に、15ゴールずつ獲得してダブル得点王受賞。
なお、同じチームからの複数得点王はJリーグ史上初の快挙です。
中でも、第10節サンフレッチェ広島戦で令和初のゴールを決めた事や、その後の「令」を象るゴールパフォーマンスは私たちの記憶に新しい。
また、仲川本人はこの年の活躍が認められ、年間MVPと年間ベストイレブンにも輝いている。
さらには、2019年12月に開催されたE-1選手権の日本代表に初選出。14日の香港戦で日本代表初デビューを果たした。
この時の日本代表には、マリノスからは仲川のほか、畠中慎之輔、遠藤渓太が選ばれている。
一方、仲川が所属するマリノスは、わずか2年目にもかかわらず「BOSS」の超攻撃サッカーが身を結び、2004年から待ち焦がれたJリーグタイトルを獲得。
最終節には63,854人のサポーターが日産スタジアムに集結し、ティーラトン、エリキ・遠藤渓太による3発のゴールでFC東京を3-0で退けた。
2019年は、マリノスサポーターにとっても忘れられない年になりましたね。
試合終了後の喜田キャプテンの挨拶の中で、「おめでとうございます」というサポーターへのメッセージには心動かされました。
また、栗原勇蔵へ向けた言葉も最高で、マリノスが優勝したことで彼の引退にも花が添えられました。
【2020年〜2021年】コロナ禍や怪我などで
2020年、2021年は、コロナ禍による試合順延や怪我なども災いして思うような活躍ができなかった。
しかし、2020年6アシスト、2021年7アシストを記録し、ゴールこそあまり獲得できなかったものの影の立役者としてチームに無くてはならない存在であった。
また、2020年のAFCアジアチャンピオンズリーグ第2節シドニーFC戦にて1試合2ゴールをマーク。この節のベストプレーヤーに選ばれた。
強度が求められるマリノスのサッカーでは、コンディション管理はさぞ大変でしょう。
況してや、コロナ化で定まらないスケジュールの中、人一倍ルーティーンを大切にする仲川にとっては尚更ですね。
2021年のシーズン途中には、監督がポステコグルーから同じオーストラリア人のマスカットに交替。
前監督がチームに浸透させた攻撃サッカーを継承しつつ、さらに磨きを加えて魅力あるサッカーを展開している。
2020年、マリノスのシーズン成績は14勝5分15敗、勝点47で9位。
2021年は、24勝7分7敗、勝点79で2位で終了。
このシーズンは、首位の川崎に勝点1差まで迫るもあと一歩のところで勝ちきれず、勝点79を獲得したが優勝を手にすることができなかった。
2019年以来のシャーレ獲得目指す!
2022年、再び仲川はタイトル奪取に燃えている。
2015年マリノス入団当初は結果に恵まれず、試合に出られなかったり、J2チームを渡り歩いたりすなど大きな苦労をを重ねた。
しかし、その時の努力が大きく花を咲かせて、今ではマリノスを代表する存在へと大きく成長。
切れ味鋭い仲川のプレーはサポーターを魅了し、華麗なプレーから量産されるゴールはサポーターを喚起させる。
2019年以来のシャーレ獲得のため、ハマのGTR・仲川は、これまでもこれからも全力でピッチを駆け抜ける!!
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
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