マリノスのスピードスター・宮市亮〜海外5クラブで活躍した宮市亮についてちゃんと知りたい!

F・MARINOS

「宮市亮」がJリーグの舞台にやってきた!若くしていきなり海外クラブでのプレーを志した宮市。高速ドリブルで相手を抜き去ってサポーターを喚起させる一方、何度も怪我に悩まされその度ピッチを後にすることも…。ここでは、2021年7月、横浜F・マリノスに入団した宮市亮について基本的知識をおさらいします。既にご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、今後の宮市のプレーを観る際の参考にしていただければ幸いです。

【2008-2010年】中京高校で1年からレギュラー

「ミヤチコ」「リオ」などの愛称で親しまれ、端正な顔立ちとキレのあるプレーで見る者を魅了する「宮市亮」。

出身は愛知県名古屋市で、生年月日は1992年12月14日。

幼い頃は野球に親しんでいた宮市だが、トレーニングの一環でサッカーを始めたところ抜群なセンスを認められ、小学3年生には地元クラブでのプレーを選択。

すると、中学2年生でU-14、3年生でU-15日本代表とコンスタントに代表メンバーに召集される。

高校は、地元では強豪として知られる中京大附属中京高校に進学。サッカー部に所属して1年生からレギュラーとしてプレー。

常に数的優位な場面で、ドリブルかパスを判断することを求められていた」と言う道家監督の練習法で技術を磨く。

そして、これまでのサイドバックから攻撃的なウイングポジションへとプレースタイルが変わる。

高校2年生になると、現在ガンバ大阪でプレーする宇佐美貴史や、アルビレックス新潟の高木善朗らとU-17日本代表に選出される。

また、2年生と3年生の時には全国高校選手権に連続出場。

2年生の時の初戦では、鹿児島県代表・神村高校と対戦したが、2-10という圧倒的なスコアで敗退。

続く3年生ではキャプテンとしてチームを牽引。初戦の京都代表・久御山高校相手に宮市がゴールを奪うも、2-4で引き続き初戦敗退を喫する。

いずれも、チームにとって苦い結果に終わった全国高校選手権ではあったが、宮市自身は大会での活躍が認められて2年連続優秀選手賞を受賞した。

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陸上選手顔負けの100m10秒台の圧倒的スピードを生かして、1年生からレギュラーでプレーしていたとは、やはり宮市只者ではない!

【2011-2015年】アーセナルFC(イングランド)

宮市は、高校在学中にドイツのFCケルンやイングランドのアーセナル、オランダのアヤックスの練習に参加している。

この時の練習ぶりが、かつてJリーグの名古屋グランパスでも指揮を執ったことがある、当時アーセナルの監督をつとめるアーセン・ベンゲルの目に留まる。

その後正式にオファーが届き、2010年12月にアーセナルと5年契約を結んだ。

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宮市の中京高校の先輩で、かつてマリノスで活躍した伊藤翔も、成績こそ振るわなかったものの海外(フランスリーグ)でプレーした経験があります。

既に高校3年生の夏頃にはアーセナル入団が内定していて、家庭教師のレッスンにより英語学習も行っていたとか。

Jリーグには見向きもすることなく、海外でのプレーを志す宮市の熱い思いが伝わります。

ちなみに、日本人選手としてJリーグを経験することなく、いきなりイングランド・プレミアリーグのクラブと契約を結んだのは宮市が初めてです。

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海外クラブで練習したこと、その先に日本を知るベンゲルがいたこと、そして宮市が高い技術を持っていたこと、全てが上手く噛み合って海外でのプレーが実現しましたね。

【2011年1-6月】フェイエノールト(オランダリーグ)レンタル移籍

晴れてイングランドの名門アーセナルの入団を果たした宮市であったが、イングランドではプレーすることなくオランダの1部のフェイエノールトへのレンタル移籍が決定する。

フェイエノールトは、2001年から2005年にかけて小野伸二が在籍していたことで知られ、リーグ優勝10回、オランダカップ12回、UEFAチャンピオンズカップ1回などのタイトルを獲得するオランダの強豪。

2011年2月6日、宮市は対フィテッセ戦で公式戦初デビューを飾り、いきなり先発フル出場を果たす。

この時の年齢は18歳1ヶ月23日で、これまで東京ヴェルディなどで活躍した森本貴之が持っていた、18歳1ヶ月26日の欧州主要リーグ日本人最年少記録を塗り替えた。

最終的には、フェイエノールトでは12試合出場3ゴールを記録。中でも、第31節のヴィレムII戦では、2ゴール2アシストをマークしてチームの勝利に貢献した。

なお、2011-2012シーズンにはアーセナルに復帰するものの、試合中の負傷による長期離脱によりカップ戦2試合のみの出場にとどまる。

【2012年1-6月】ボルトン・ワンダラーズFC (イングランド)レンタル移籍

年が明けた2012年1月、宮市はイングランドのボルトン・ワンダラーズFCに再びレンタル移籍する。そして、その年の2月11日第25節のウィガン戦でプレミアリーグ初出場を果たした。

この出場により、これまで稲本潤一が記録していた19歳1ヶ月28日の日本人最年少出場記録を更新した。

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ちなみに、2005-2006年シーズンには、あの中田英寿がボルトン・ワンダラーズFCでプレーしていました。

ここボルトン・ワンダラーズFCではリーグ戦12試合に出場したが、FAカップではゴールを決めたもののリーグ戦ではノーゴールに終わった。

【2012年8月-2013年6月】ウィガン・アスレティックFC (イングランド)レンタル移籍

2012-2013年シーズンには、同じくイングランドのウィガン・アスレティックFCにレンタル移籍。

相次ぐ右足首靭帯損傷により試合出場はままならず、公式戦出場は7試合だけにとどまる。

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靭帯損傷はサッカー選手にとって致命的。苦しいシーズンを過ごしました。

【2013-2014年シーズン】再びアーセナル復帰

2013-2014年シーズンは、加入後初めてアーセナルでプレーする。

2013年9月18日にはヨーロッパチャンピオンズリーグ初デビュー、9月24日には、アーセナルの一員としてリーグ戦出場を果たすが、リーグ戦出場はこの1試合のみに終わる。

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やはり、アーセナルほどのトップチーム出場し続けるには、最高のコンディションや高いレベルなどを維持し続けなければ難しいのでしょうね。

宮市は、ここでも負傷などにより試合に出続けることが難しくなってしまいました。

【2014年9月-2015年6月】FCトゥウェンテ(オランダリーグ)レンタル移籍

怪我の影響などによりアーセナルで思うようなプレーができず、トップチームでの出場機会を失われてきたため、2014-2015年シーズンにはオランダリーグ1部のFCトゥウェンテにレンタル移籍。

コンディションが戻らなかったのか、ここでもリーグ戦10試合に出場するものの得点することができなかった。

2015年3月にはFCトゥウェンテとのレンタル契約が満了。併せて、アーセナルとの契約が解除され、宮市はここでプレミアリーグを去ることとなる。

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アーセナルでの成功を夢見てきたであろう宮市の胸の内を察すると、ファンとしては悲しい気持ちでいっぱいになります。

【2015年6月-2021年7月】FCザンクトパウリ(ドイツ ブンデスリーガ)

アーセナルを去った宮市は、2015年シーズンからドイツ2部リーグのFCザンクトパウリに入団する。

しかし、2015年7月の親善試合で左膝前十字靭帯断裂、2017年6月の紅白戦では右膝前十字靭帯を断裂するなど度々の大怪我に見舞われる。

それでも、FCザンクトパウリ在籍時には、リーグ戦トータル78試合に出場して8ゴールをマークなど、宮市の底力を垣間見ることができた。

【2021年7月-】横浜F・マリノス

2021年7月、宮市が日本に戻ってきた。しかも、選んでくれたのは我が横浜F・マリノス

入団が発表された際には、宮市のスピード溢れるプレーが目の前で観られるため、マリノスサポーターはもちろん日本中のサッカーファンが期待に胸躍らせました。

Jリーグデビューは、2021年9月の名古屋グランパス戦の途中出場。初ゴールは2022年5月の浦和レッズ戦です。

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私も彼のJリーグ初ゴールを浦和で観戦させていただきましたが、嬉しさとホッとした気持ちを味わったことを思い出します。

横浜のスピードスターとしてマリノスを栄冠に導け!

高校卒業したてにもかかわらず、Jリーグを経験することなくいきなり欧州チャレンジを選択した宮市亮。

幾度もの大怪我に見舞われ欧州では本来の力が発揮しきれず、とても悔しい思いをしたに違いありません。

しかし、彼は呆れめることなく何度もチャレンジを繰り返し、ついにJリーグに帰ってきてくれました。

きっと、これまでの様々な経験を生かしてJリーグの舞台で大暴れし、マリノスを栄冠へと導いてくれるに違いありません。

さらに、日本代表に返り咲き、再び本来の力を世界に魅せつけてくれることでしょう。

宮市自身が書いている彼のブログもご参照ください。

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