サッカー選手にとって名誉ある背番号「10」。中でも、F・マリノスの背番号「10」といえば、他クラブのそれとは異なり特別な番号を意味し、これまでクラブを代表するそうそうたる選手が着けてきました。ここでは、F・マリノス「10」番の変遷を振り返るとともに、2022年からこの番号を背負うマルコス選手の復活を期待する内容を記します。
目次
背番号「10」の変遷
F・マリノスの選手の10番と言えば、あなたなら最初にどの選手を思い浮かべますか。
ここからは、栄光のエースナンバーを背負ってきた歴代の選手たちを振り返ってみましょう。
日産の10番と言えば…
日産自動車時代から応援する方にとって背番号「10」と言えば、ミスターマリノス・木村和司氏を思い浮かべる方が多くいらっしゃいます。
ご存知の通り、木村和司氏と言えばフリーキックの名手として知られ、日本リーグや日本代表で数々の名場面を演出してきました。
特に、1985年10月26日におこなわれたW杯メキシコ大会最終予選の日韓戦で、ゴール左上隅に決めた会心の一撃は「伝説のフリーキック」として称されています。
その後、Jリーグが発足してからは背番号固定制が採用されていなかったため、試合ごとにさまざまな選手が10番を付けていました。
そして、1997年になると正式に背番号固定制が採用され、マリノスでは以下の選手が10番を背負うようになりました。
1997-1998 フリオ・バルディビエソ
最初に10番を背負ったのは、ボリビア人のフリオ・バルディビエソ選手です。
かつてボリビア代表監督であったアスカルゴルタ氏がマリノス監督に就任した際、マリノスに移籍してきました。
「バルディ」の愛称で親しまれ、正確なパスを繰り出したり数多くゴールに絡んだりすることから、Jリーグ開幕からマリノスでプレーするダビド・ビスコンティ選手とダブらせた方もいらっしゃたのではないでしょうか。
「オレ〜、バルディビ・エ・ソ、バルディビ〜エソ〜、バルディビ〜エソ、オレ、オレ、オレ〜!」のチャントが今でも耳に残っています。(正しかったでしょうか 笑)
移籍した1997年にはリーグ戦22試合出場して9ゴールをマーク。2ndステージ第3節のガンバ大阪戦では、12分・25分・28分のわずか16分間でハットトリックという偉業を達成しています。
この記録は、約18年間の長きにわたり破られることがありませんでした。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
1997 | 22 | 9 |
1998 | 32 | 10 |
1999-2002 中村俊輔
中村俊輔選手はマリノス加入後の2年間は25番を付け、1997年は27試合5ゴール、1998年には33試合9ゴールをマーク。
さらに、1997年には優秀新人賞を受賞するなど、サポーターの期待を裏切ることなく立派な成績を残しています。
それでも、当初は身体の線が細く相手によく倒されたり、左足にこだわりすぎてシュート機会を逃したりするなど、現地で見る限り幾度か歯痒い思いをしたことを思い出します。
1999年には初代10番のバルディビエソからエースナンバーを引き継ぎ、2002年にイタリアのレッジーナに移籍するまで10番を背負いました。
10番を付けてからはリーグ優勝こそありませんでしたが、1999年にはベストイレブン、2000年には22歳にして年間MVPを獲得。
天才でありながら俊輔らしく努力に努力を重ね、F・マリノスの10番にふさわしい活躍を披露してくれました。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
1999 | 26 | 7 |
2000 | 30 | 5 |
2001 | 24 | 3 |
2002 | 8 | 4 |
2004 遠藤彰弘
俊輔がレッジーナに移籍した2003年の10番は「空き番」でしたが、2004年には、1994年からマリノスでプレーする遠藤彰弘選手が10番を付けました。
俊輔のように華麗で華があるとは言えず、むしろ地味な選手ではありますが、中盤ならどこでもこなせる器用さが魅力でした。
2004年には那須大亮とともに最強のボランチを組み、岡田体制のF・マリノス連覇に大いに貢献しています。
また、それ以前の1996年のアトランタ五輪で日本代表として10番を背負い、あのマイアミの奇跡と呼ばれるブラジル戦に出場しています。
余談ではありますが、数年前パナスタにアウェイガンバ戦を観戦した際、観客席を歩く遠藤選手に久しぶりに遭遇。こちらの挨拶に気さくに応じていただいた優しい笑顔が今でも忘れられません。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
2004 | 22 | 1 |
2005-2010 山瀬功治
1981年生まれで、現在もレノファ山口で現役プレーヤーとして活躍する山瀬功治選手。
2005年にF・マリノスに加入以来、6シーズンにわたってエースナンバーを背負い、MFでありながら2007年には二桁ゴールを挙げています。
山瀬選手の魅力言えば、前傾姿勢から繰り出す積極果敢なドリブルと、相手を交わして放つ豪快なシュート。
彼がペナルティエリア近くに侵入して行った際には、何を起こしてくれるのかとワクワク感が止まりませんでした。
2010年11月には、若返りを計ろうとするクラブから、松田選手・坂田選手・河合選手等と共に戦力外通告を受けてしまいます。
しかし、12月に行われた練習の後にも嫌がることなく気さくにサインに応じていただいたことは、この先もずっと忘れることがないでしょう。
年度 | 試合数 | 得点数 |
2005 | 19 | 1 |
2006 | 20 | 6 |
2007 | 32 | 11 |
2008 | 25 | 4 |
2009 | 28 | 5 |
2010 | 33 | 5 |
2011-2012 小野裕二
小野裕二選手は、木村和司体制2年目の2011年と、樋口靖洋氏が監督に就任した2012年の2年間に渡り、高卒新人でありながら、10代でF・マリノスの10番を背負うという大役を担うこととなります。
小野選手の持ち味は、相手と一対一で対峙した際にドリブルで交わしたり、決定的なパスが供給できたりするなどの高い能力。
とは言え、F・マリノストップチームの所属は3年間にとどまり、その後海外に挑戦するも思うように力を発揮できず、再び戦いの場をJリーグに戻しています。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
2011 | 29 | 4 |
2012 | 33 | 2 |
2014-2016 中村俊輔
2010年にスペインから帰還した俊輔は、マリノス加入時と同じ25番を付けます。
2013年にはリーグ戦34試合中32試合に出場。フル回転の活躍を見せて自身初の二桁ゴールをマークしました。
また、2000年以来自身2度目の年間MVP獲得という前人未到の偉業を成し遂げています。
一方、リーグ戦は最後の最後まで優勝の可能性を残しましたが、「俊輔と優勝したい」というサポーターの熱い願いは叶いませんでした。
2014年には、満を持して再びサポーターにエースナンバーを披露。ゴール数は3と物足りなかったものの、リーグ戦32試合に出場してチームの勝利に貢献しました。
その後も直接フリーキックを連発して、J1直接フリーキック得点ランキング単独1位に躍り出るなどの活躍を示しました。
しかし、F・マリノスがシティー・フットボール・グループとの関わりを深める中で徐々に出場機会が減少。2016年シーズンを最後に、俊輔はF・マリノスを退団することとなります。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
2014 | 32 | 3 |
2015 | 19 | 3 |
2016 | 19 | 4 |
2017 齋藤学
齋藤学選手が10番を付けたのは、2012年に愛媛FCからF・マリノスに戻った5年後の2017年でした。
これまで長きに渡り空き番であったエースナンバーを、しかもキャプテンという立場で背負ってくれたことから、サポーターは齋藤選手に大きな期待を寄せました。
4月には、ジュビロ磐田に移籍した俊輔との対戦(俊輔ダービー?)を制するなどしましたが、9月のヴァンフォーレ甲府戦で全治8ヶ月の大怪我。
再起を願ったサポーターの想いとは裏腹に、その後齋藤選手は川崎フロンターレへの移籍を発表。我々サポーターにとって、齋藤選手に大きな落胆を味あわされたことは否定のしようがありません。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
2017 | 25 | 1 |
2019 天野純
天野純選手が10番を付けたのは、2019年の途中にベルギーのロケレンに移籍するまでのわずか18試合にとどまりました。
私が見る限りでは、アマジュンは10番の責任を全うしようという思いがあまりにも強すぎて、彼の持つ本来の力が発揮しきれなかったように感じています。
しかしながら、アマジュンが高い能力を持っていることは多くのマリノスサポーターは承知済みでしょう。
なぜなら、Jリーグでの活躍はもちろん、Kリーグ移籍後はチームの主力として蔚山現代FCの優勝に大きく貢献。なおかつ、Kリーグオールスターにも選ばれていることがそのことを証明しているからです。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
2019 | 18 | 0 |
これまでのマルコス選手の活躍は?
マルコス選手がF・マリノスに加入したのは2019年シーズン。
F・マリノス加入時は9番を付け、最前線を主戦場としていましたが、アマジュンの海外移籍などをきっかけにトップ下を務めるようになります。
すると、抜群の視野の広さや正確なパスセンスを武器に数多くの得点機を演出して、2004年以来のF・マリノスリーグ優勝に大きく貢献しました。
そして、マルコス自身も来日初年度にいきなり15ゴールをマーク。同じく15ゴールを挙げた仲川輝人選手と共に得点王を獲得しました。
2021年からは背番号を「10」に変更。マルコス選手は名実ともにF・マリノスのエースに君臨します。
しかし、2022年になると、怪我や家族との離れ離れの生活などによりコンディションを崩してしまいます。
さらに、2022年になるとベガルタ仙台から加入した西村拓真選手がトップ下に起用されることが多くなり、マルコス選手の出場機会が減少。
トータル23試合に出場するもののまさかのノーゴールに終わり、年間を通して「かめはめ波」や「気円斬ポーズ」のゴールパフォーマンスが見られることがありませんでした。
年度 | 試合数 | ゴール数 |
2019 | 33 | 15 |
2020 | 28 | 11 |
2021 | 33 | 9 |
2022 | 23 | 0 |
F・マリノスの「10」は受難の番号!?
ここのところ、F・マリノスの10番は受難の番号に思えて仕方ありません。
これまで調子良かったにもかかわらず、エースナンバーを背負った途端あっという間に移籍してしまったり、調子を崩したりと、サポーターや選手にとってあまり良いことがありません。
F・マリノスの「10」番という特別な番号が、10番を付けた選手に目に見えないプレッシャーとしてのしかかり、そのような試練を与えてしまうのでしょうか。
2023シーズンのマルコス選手は?
2023シーズンは、F・マリノスにとって連覇がかかる大切なシーズンです。
川崎フロンターレをはじめとする他のチームは、さらなるF・マリノス対策を講じて臨んでくることは間違いありません。
ましてや、仲川選手や岩田選手の移籍により、チーム力が落ちたとマスコミに報道されていることからも(決して落ちているとは思わないが)、昨年を上回るパフォーマンスを発揮することが求められます。
もちろん、マスカット監督をはじめ、マルコス選手を含む選手全員がそのことを十分理解していることは承知しています。
中でも、マルコス選手なら昨年の苦難をプラスに変えて、2019年以上のパフォーマンスでチームに連覇をもたらしてくれることを期待します。
今年も「10」番で戦います!
これまで、F・マリノスで10番を背負ってきたそうそうたる選手についてふれてきました。
2023年もエースナンバーを付けるマルコス選手は、これら選手に勝るとも劣らないサッカーセンスを持ち合わせていることは疑いの余地がありません。
ましてや、来日していきなり得点王を獲得したり、その翌年も二桁ゴールを挙げたことなどを考えると、本来のコンディションさえ戻れば底知れぬパフォーマンスが期待できます。
西村選手とのポジション争いも激化し、マルコス選手にとって2023年が勝負のシーズンになることは間違いありません。
私は昨年10番のユニでスタジアムに参戦しました。そして、もちろん今年も10番を付けてマルコス選手を後押しすることを決意しています。(もちろん西村選手や他の選手たちも全力で応援しますよ)
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
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