2022年10月22日(土)は、YBCルヴァンカップ決勝「セレッソ大阪vsサンフレッチェ広島」戦開催の日だ。一方、さかのぼること2001年10月27日には、ルヴァンカップの前身「ナビスコカップ」の決勝戦が国立霞ヶ丘競技場で開催された。2001年は、このナビスコカップ優勝を含めて、マリノスにとって忘れられない1年となった。ここでは、2001年にマリノスが経験した2つの「天国」について振り返っていきます。
目次
マリノス史上稀に見る降格争いに巻き込まれる
2001年は、マリノスにとって2つの天国を味わう貴重な年となった。
1つ目はリーグ戦残留(こちらはある意味地獄と言えるかもしれない)、2つ目はナビスコカップ優勝だ。
メンバーが揃わない
アルディレス体制2年目で臨んだ2001年シーズン。
これまで最前線でチームを支えてきたユ・サンチョル、エジミウソン、三浦淳宏が退団。
さらに、外人選手獲得が上手くいかなかかったり、チームの司令塔・中村俊輔が怪我で離脱したりするなど、満身創痍でシーズンを戦うことになる。
3月20日(土)、ヴィッセル神戸との開幕戦には、開幕を待ち侘びる25,000人以上のサポータがホーム横浜国際陸上競技場(日産スタジアム)に集結した。
しかし、サポーターの必死の応援も虚しく、マリノスは得点することができずに0-1でヴィッセルに敗れる。
その後も思うように勝利が挙げられずに、第5節終了時点で0勝1分け4敗とスタートダッシュに大きく遅れをとった。
1st 15位に低迷する
続く第6節、ホーム・サンフレッチェ広島に2-1で初勝利するが、それ以降では攻守のバランスを欠いてチームはなかなか波に乗れない。
そして、第10節終了時点では3勝1分7敗と大きく負け越し、その時点を持ってアルディレス監督は解任される。
急遽、チームディレクターの下條佳明氏が後任をつとめたが、あまりの短期間ではチームを立て直すことができず、結局1stステージは3勝2分10敗・勝点11で、マリノスは16位中15位と大きく順位を落とした。
2ndステージで立て直しを計るが…
セカンドステージ、マリノスはチームの立て直しを計るため、ブラジル代表監督の経験のあるラザロニ氏を監督に招聘。合わせて、ナザ、ドゥトラ、ブリットのブラジル人トリオを獲得する。
一方、絶対的守護神の川口能活がイングランド2部のポーツマスFCに移籍するなど、望むようなチーム運びができない事態にも見舞われた。
ナビスコカップ優勝
そんな苦しい状況にありながらも、2001年のナビスコカップでは、1回戦・水戸ホーリーホック、2回戦・アビスパ福岡、準々決勝・川崎フロンターレ、準決勝・名古屋グランパスをそれぞれホームアンドウェイの戦いの末に破り、見事初の決勝進出を果たした。
PK戦
横浜F・マリノス | 先攻 | 後攻 | ジュビロ磐田 |
中村 俊輔 | ○ | × | 藤田 俊哉 |
坂田 大輔 | ○ | ○ | 中山 雅史 |
波戸 康広 | × | × | ジヴコヴィッチ |
ドゥトラ | × | × | 前田 遼一 |
小村 徳男 | ○ | ||
3 | 1 |
マリノスの優勝には退場者が付き物!?
決勝は、1996年から2002年まで、シーズン優勝をアントラーズと分け合うジュビロ磐田との対戦。
攻撃力が自慢のジュビロと守備力に勝るマリノスの対戦は、お互いのシュートがポストやクロスバーを叩くなど決定力に欠ける展開が続く。
後半終了間際の86分には、この日2枚目のイエローカード受けた永山が退場処分となってしまい、マリノスは数的不利な状況に。
新守護神・榎本達也が大活躍
それでも何とか10人で守り切って、0-0で90分を終了。さらに、延長でもお互い得点が決まらずPK戦へと突入する。
移籍した川口の後のゴールを守るのは、1997年に浦和学院高校から加入した22歳の榎本達也だ。
彼は素晴らしい読みを発揮して、藤田、ジヴコヴィッチ、前田の3本のPKを止めてマリノスをクラブ初のナビスコカップ優勝に導いた。そして、榎本自身も大会MVPを獲得してナビスコカップを最高の形で締め括ったのだ。
横浜F・マリノス スタメン
ポジション | 背番号 | 名前 |
GK | 16 | 榎本 達也 |
DF | 5 | 小村 徳男 |
DF | 3 | 松田 直樹 |
DF | 4 | 波戸 康広 |
MF | 15 | 平間 智和 |
MF | 8 | 遠藤 彰弘 |
MF | 13 | 永山 邦夫 |
MF | 32 | ドゥトラ |
MF | 10 | 中村 俊輔 |
FW | 9 | ブリット |
FW | 11 | 城 彰二 |
控えメンバー
ポジション | 背番号 | 名前 |
GK | 30 | 下川 健一 |
DF | 7 | ナザ |
DF | 22 | 金子 勇樹 |
FW | 17 | 木島 良輔 |
FW | 29 | 坂田 大輔 |
選手交代
90分 | MF | 8 | 遠藤 彰弘 | → | DF | 22 | 金子 勇樹 |
105分 | MF | 15 | 平間 智和 | → | DF | 7 | ナザ |
114分 | FW | 11 | 城 彰二 | → | FW | 17 | 木島 良輔 |
114分 | FW | 9 | ブリット | → | FW | 29 | 坂田 大輔 |
最終戦で残留を決める
晴れてナビスコカップを制したマリノスであったが、リーグ戦の苦悩はとどまることを知らない。
マリノスの年間順位は、最終節2つ前の第13節終了時点で第15位と低迷。次のガンバ戦で敗戦すれば、降格濃厚な事態に陥っていた。
第14節ガンバ戦で望みを繋ぐ
第14節ガンバ大阪戦には、「絶対残留」の弾幕を掲げる三ツ沢のサポーターが強烈にマリノスを後押しする。
その甲斐あってか、前半16分にガンバに失点を許すも、後半23分の中村俊輔のゴールで同点に。
さらに、後半32分には上野良治がゴールを決めてマリノスが逆転に成功。2-1でガンバを振り切った。
これにより、マリノスは第14節終了時点で13位に上昇。
最終節のアウェイ・ヴィッセル神戸戦で引き分け以上なら、マリノスJ1残留が決定するまでに状況を押し戻した。
運命の最終節・ヴィッセル神戸戦
運命の最終節、サポーターが固唾を飲んで見守る中、神戸ウイングスタジアム(ノエビアスタジアム神戸)にキックオフの笛が鳴り響く。
前半14分、ゴール右斜め45度からのドゥトラのフリーキックは、正確にゴール左隅を捉えてマリノスが待望の先制点を挙げる。
しかし、前半30分、「カズ」こと三浦知良の見事なトラップからのシュートでたちまちヴィッセルに同点に追いつかれる。
その後も、手に汗握る一進一退の攻防が続いたが、90分を経過した時点で1-1の同点。さらに、延長戦でも決着が付かず、そのまま試合終了のホイッスル。この結果により、マリノスはかろうじてJ1残留を決めた。
2つの最高のドラマが観られた1年
2001年、マリノスは初のナビスコカップを獲得し、一方で、降格争いに巻き込まれながらもギリギリで残留を果たすことができた。
マリノスサポーターにとって、ネガティブに言えば「天国と地獄」。ポジティブに捉えれば「最高×2」の1年を過ごす年となった。
これらの経験を経た次の2002年、マリノスはリーグ戦年間2位に躍進。続く2003年と2004年には、岡田武史監督のもと、2年連続年間優勝という快挙を成し遂げている。
つまり、タイトルを獲得したり、困難を乗り越えたりすることは、そのチームがより強くなれることを意味する。
我々サポーターはいつまでも強いマリノスを愛し続けられるよう、これまでも、そしてこれからもマリノスと共に困難を克服して、数々のタイトルを獲得していきたい!!
なお、この記事を作成するにあたり「TORICOROLL + 30周年記念コラム④:波乱の2001年」を参考にさせていただきました。まだお読みでない方はぜひご覧下さい。
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最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
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