2022年シーズンより横浜F・マリノスでプレーする永戸勝也。ベガルタ仙台在籍時には、10アシストを記録しその年のアシスト王を獲得するなど、正確なキック精度が魅力なJリーグ屈指のレフティー。ここでは、永戸勝也の小学生からマリノス移籍までの軌跡を辿ってみたいと思います。どうぞ、最後までお付き合いください。
目次
中学時代にFWからSBへ転身
永戸勝也。1995年1月15日、千葉県出身。
永戸がサッカー始めたのは、小学校に入学する前の5歳くらいの頃。2歳年上の兄がサッカーをやっていたのがきっかけだ。
小さな頃は兄の背中を負いながら、毎日のようにサッカーボールを蹴って遊んでいた。
小学生から中学1年生の夏頃までは、小さな体でありながら、素早い動きで相手ゴールに迫るタイプのFWとしてプレー。
やがて成長していくと共に、体の大きさが自分のプレースタイルにマッチしなくなり、FWとしてプレーすることに限界を感じ始める。
すると、監督からSBのポジションを勧められ、永戸はFWからSBへのコンバートを決意。もし、この時の監督からの提案が無かったら、今の永戸勝也は存在しなかったかも知れない。
そう言えば、あの宮市はSBから攻撃的ウイングへのコンバートで成功していますね。
永戸の場合は、宮市とは逆パターンのコンバートで道を切り開きました。
強豪・千葉県立八千代高校に進学
中学を卒業すると、永戸は千葉県立八千代高校に進学する。
八千代高校と言えば、元日本代表の羽生直剛や米倉恒貴、名古屋グランパスで活躍する長澤和輝、元清水エスパルスの兵働昭弘など、多くのJリーガーを輩出する千葉県屈指のサッカー名門校。
1年生の時にはほとんど試合に絡むことができなかったが、ようやく2年生になって途中怪我などを経験しながら、左SBの定位置を獲得した。
永戸は3年生の時、全国高校総体(インターハイ)と全国高校サッカー選手権に出場している。インターハイ1回戦では、東福岡高校と対戦して初戦敗退。
続く全国高校サッカー選手権1回戦では、島根代表の立正大淞南高校と対戦し、1-7と言う大差で敗れる結果に。
これら全国大会における初戦敗退と言う苦い経験を通して、永戸は全国の壁の厚さをまざまざと思い知らされたに違いない。
しかしながら、第91回全国高校選手権千葉県大会決勝において、流通経済大柏をPK戦の末下して全国大会出場を果たしたことは、永戸にとって一番の思い出となった。
ちなみに、この時のPK戦で永戸はPKを外してしまいますが、それ以外では決定的ピンチを救うなど、チーム勝利のため活躍しました。
法政大学からのオファー
高校時代の全国選手権での悔しい経験を経て、永戸は法政大学に進学する。
法政大学に進学したきっかけは、高校3年生の夏頃法政大学の練習に参加し、その時のプレーぶりが大学関係者の目に止まったからだ。
1年生の時から得意の左足を武器にレギュラーを獲得。2年生では、総理大臣杯準優勝、関東2部リーグ優勝など、充実した1年を過ごした。
中でも、総理大臣杯準々決勝では、横浜F・マリノスで活躍する仲川輝人や、柏レイソルでプレーする北爪健吾などが所属する専修大学と対戦。
その当時強豪と称された専修大学に1-0で勝利できたことが、永戸にとって大きな自信となったのは言うまでも無い。
仲川が在籍していた頃の専修大学は、関東大学1部リーグ4連覇達成するなど、その当時かなりの強さを誇っていました。
続く3年生の時には、昨年準優勝だった総理大臣杯でのリベンジを果たすためチーム一丸で試合に臨む。しかしながら、1回戦は突破できたものの、2回戦で関西学院大学と対戦して1-2で敗戦。
拮抗した試合ではあったが力の差を見せつけられてしまった。それでも、永戸は勝つために足りなかったものを探すため、真摯に自分と向き合い次のステップの糧とした。
4年生の前期リーグ最終節では全治4ヶ月の怪我を負い、後半戦のほとんどを棒に振る羽目に。それでも落ち込むことなく、プロに向けてしっかり体づくりをしようと切り替えトレーニングに励んだ。
【2017〜2019年】ベガルタ仙台
2016年8月8日、2017シーズン新加入内定がベガルタ仙台から発表された。
大学2年生の頃から仙台の練習に参加したり、アドバイスをもらったりしていて、永戸にとって仙台は馴染みのあるチーム。真っ先にオファーをもらえたのも、仙台を選んだ大きな理由だ。
2017年は、開幕戦の北海道コンサドーレ札幌戦にいきなりスタメン出場するなど、リーグ戦17試合、YBCルヴァンカップに3試合に出場した。
翌年2018年には、リーグ戦29試合、YBCルヴァンカップ5試合、天皇杯3試合と、大幅に出場機会を広げてゆく。
そして、永戸が最も仙台で輝いた2019年は、リーグ戦30試合、YBCルヴァンカップ3試合、天皇杯1試合に出場。第9節のガンバ大阪戦ではプロ初ゴールをマークした。
さらに、コーナーからの8本のアシストを含む合計10本のアシストを記録するなど、永戸はチームの柱として大活躍を見せた。
コーナーからのアシストが多いとは言え、守備的な仙台においてアシスト王を獲得するなんて永戸の左足の精度恐ろしや!
【2020〜2021年】鹿島アントラーズ
2020年1月3日、数々のタイトルを獲得する鹿島アントラーズの加入内定が発表された。
永戸は3年間過ごして住み慣れた仙台を離れ、Jリーグ屈指の強豪チームで揉まれることで、もう一回り自分を成長させようと鹿島移籍を決意した。
2020年シーズンは左SBのレギュラーを獲得。リーグ戦22試合に出場し全てがスタメンでの出場。また、YBCルヴァンカップにも2試合出場している。
続く2021年には、リーグ戦29試合、YBCルヴァンカップ5試合、天皇杯1試合に出場。
最初の頃こそ先発での出場機会が与えられてはいたが、2019年までアントラーズで活躍していた安西幸輝がポルトガルのクラブから復帰。すると、永戸は徐々に途中出場することが多くなるなど、出場時間が減少していった。
しかし、永戸が在籍した2年間、アントラーズは一度も優勝を手にすることはできなかったが、永戸自身にとって大変意味ある2年間であったに違いない。
【2022年】横浜F・マリノス加入
そのことを証明するのが、2021年12月に発表された横浜F・マリノスからのオファーだ。
アントラーズでのシーズン後半、出場機会が減少したにもかかわらずマリノスが永戸に声をかけたのは、永戸にはマリノスで活躍できる実力が十分備わっていると判断したからだ。
以前からマリノスでプレーすることに興味があった永戸にとって、マリノスのオファーを断る理由など見つける必要はほとんどなかった。
とは言え、マリノスのSBは、単にタッチライン付近を駆け上がりセンタリングするだけではない。
時にはボランチのようにインサイド寄りに構えたり、FWのようにゴール前に顔を出したりするなど、他の多くのチームとはプレースタイルが大きく異なる。
さらに、「悪魔の左足」として恐れられていたティーラトンの後釜をつとめなければならないという、永戸には計り知れない課題が突きつけられていた。
正確な左足でマリノスをさらなる高みへ
しかし、永戸は今まで苦労して積み重ねてきた経験を存分に生かし、新たなチームで新たなるプレースタイルに果敢にチャレンジし、永戸にしかできない左SBのスタイルを確立しつつある。
そして、ベガルタやアントラーズで成し得なかった優勝のニ文字を、今度こそマリノスと言うクラブで成し遂げ続けてくれるに違いない。
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
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